| |||
|
2002年3月9日土曜日
2002年3月2日土曜日
余丁町便り (No.004)
余丁町便り (No.004)
..................
余丁町散人
いよいよ春ですね。カブリオーレの季節です。車の幌を全開にしてドライブしました。風が暖かく、とても気持ちが良かったです。
北の丸公園を久しぶりに訪れました。マンサクと寒緋桜がとてもきれいに咲いていました。ハクモクレンの蕾はかなり大きくなっていましたから、もう一週間ぐらいで咲くのではないでしょうか。コブシの蕾はまだ小さく、咲くにはもう少し時間が掛かるみたいです。寒桜はもう葉をつけて葉桜になっていました。
わが家の紅梅は先週みごとに花を咲かせましたが、もうかなり散りかけています。ヒヨドリ、ムクドリ、シジュウカラがかわるがわるやってきて、梅の花を食べるから。
この季節はほとんど毎日花の様相などの景色が変わります。駆け足で春がやってくるのですね。
北の丸公園のマンサク
HPに視点コラムを
住友商事勤務時代に冊子「経済動向」に毎月連載していた「視点」というコラムのバックナンバーをHPに掲載しました。もう既に昔の話であり、あまり参考にはならないと思いますが、散人にとってはとても懐かしく、今回の収録に当たりコラムごとに読み返してみて感想やコメントを追記いたしました。当時はそれなりに一生懸命考えて書いたもので、いま読み返してみると恥ずかしくなるようなものもありますが、その時々の雰囲気を残しているものも多くあり、原文には手を加えず収録いたしました。自分史的な様相を呈しておりますが、ご笑覧いただければ幸いです。
なお、視点の古い分(96年から98年まで)についてはアップルの iTool ではなく自分でHTMLで別のサイトを作りました。テキストばかりのページですが、ちゃんと目次と本文のリンクが動きます。それをメーンサイトとリンクさせました。不細工なものですが、全部自家製です。何かプラモデルを作った子供のように喜んでおります。
神保町めぐり
***
北の丸公園に駐車してから神保町に行きました。東京堂書店で出たばっかりの川本三郎の『荷風好日』を購入。昨日までは平積みにしてあったのがきょうはもう一冊しか残っていないとのことで、最後の一冊を手に入れることが出来ました。荷風の人気恐るべしです。
同じ東京堂書店で坪内祐三と紀田順一郎のサイン本が置いてあり、ちょうど買いたかった本でもあり即購入。最近はアマゾンのオンライン書店で本を買うことが増えていますが、このようなサイン本などが買えるのはやはり神保町ならではです。
そのあとスヰートポーヅで餃子を食べました。この店、すずらん通りにありますが、戦前満州帰りの人が東京で開いた餃子店です(下の写真)。本場の大連で修行を積んだだけあって、なかなか美味しいとの評判。こんなお店が残っているのも神保町の良いところかも知れません。
再開発で神保町も町並みは大きく変わりつつありますが、たまに来るのもいいもんです。
2002年2月17日日曜日
余丁町便り(No.003)
余丁町便り(No.003)
..................
余丁町散人
わが家の遅咲きの紅梅がようやく少しずつ花を開かせはじめました。まだ満開にはほど遠い状況ですが、春を感じさせます。写真を入れておきます(クリックすると画像が大きくなりますよ)。
このウメはかなり歳をとった樹で、ムシなんかがついて、いろいろたいへんでした。そのへんの苦労を Gardening のページに書いておきました。ご笑覧ください。
わが家のウメ
HPの作業状況
一月から作成に取り掛かっているホームページも、だんだん形をなして参りました。最初はホームページ作成専用ソフトを使用して悪戦苦闘していたものですが、あまりに複雑でそうそうに諦め、アップル社のサイトで提供されている簡易ツールを使うことにしました。すると、とたんに作業がはかどり、いま何とか形を整えつつあります。
家内の家族がフランスからアクセスしてくれましたが、当然ながら日本語表示が読みとれないと言うので、英語版のサイトメニューも付け加えました。ヘッダーの一番最後のボタン(ENGLISH) で英語表示に変わります。
去年から散人は、Net News という電子会議システムに参加するようになっています。なかなか興味深いものです。NetNews Articles というボタンを押していただくと散人の投稿状況が分かります。ジャンルは政治経済から、グルメまでいろいろです。お覗きください。
「荷風塾」
***
世話人:散人
「荷風塾」というのをこのホームページに作りました。詳しくは「荷風塾」というボタンを押して「荷風塾 学校通信」というレターをお読みください。散人は本当に荷風が大好きなのです。荷風のことを話し出すと何時間も続いてしまします。そんな荷風に対する思い入れをこの「学校通信」でお伝えしたいと思います。これを肴に、更なる荷風談義を、ホームページ付属の掲示板で続けようとの魂胆です。
掲示板に書き込みをしてくださる方も、ぼつぼつ増えてきました。ありがとうございます。ホームページをご覧になられたら、ついでに掲示板に一言お書きいただけると、とてもうれしく思います。
2002年2月16日土曜日
〔再掲〕わたしの阪神大震災
わたしの阪神大震災〔再録〕
六千数百人の命を奪った阪神大震災から5年。個人的にも忘れることが出来ない事件であった。ちょうどそのとき関西に用事があり、宿泊していた西宮の両親宅で地震に遭遇したのだ。寝ている上にタンスが倒れてきて、更にその上に屋根が落ちてきた。身動きがとれず、土埃と屋根の重みで息も出来ない。右足の膝から下だけは、わずかに動いたので、体を少しずつその方向にずらして行き、最後は無我夢中で一気に脱出した。抜け出たところは崩れた屋根の上で、頭上には一面の星空があった。
それから罹災者生活が始まったが、余震が続く夜中、手帳に書き付けた「死なないためには」と題するメモが残っているので紹介したい。1)タンスの下では寝ないこと。どんなことをしてもタンスは必ず倒れる。2)ボロ家には住まないこと。古い家は例外なく壊れてしまった。3)水を確保すること。食べ物なぞはなくとも三日ぐらいは平気だが、水がないと本当にどうしようもない。井戸があれば一番よい。
この三点を心に決めて、交通手段の復旧と同時に東京に帰ってきた。しかし、以来5年、ひとつも実行できていない。寝ている部屋の壁には相変わらず本棚がある。住んでいるところも古い木造住宅だ。井戸を掘ることにいたってはだれも冗談だと思って相手にしてくれない。なぜ実行に移せないでいるのか。それは経済的な問題である。タンスのない広い部屋にも、頑丈な家を建築するにも、井戸を掘るにも、たいへんなお金がかかる。日本では最も基本的な「死なない」ことが、きわめて高くつくのである。
日本の個人金融資産が1300兆円だとか、GDPは世界二位だとか、日本はえらくお金持ちの国であるかのような錯覚がある。だからODAも大盤振る舞いだ。新年の各紙の社説にも、もう経済成長を追い求めるのはやめよう、生活の質の方が大切だ、という論調が目立った。でも大部分の国民が地震ですぐ壊れるような家に住んでいて、どうしてそんなことがいえるのか。生活の質は物質的な裏付けがあってはじめて得られるものだ。ゼロ成長でもかまわないと言うには、はっきり言ってまだ十年早いのである。少子化が進み、ひ弱な若者が増え、経済成長率の低下は不可避とする議論があるが、それにも同意できない。
阪神大震災の話に戻るが、地震の直後の瓦礫のなかで、子どものような若い婦人警官がひとりで、信号機が停止した街路の交通整理をしているのを見た。怪我した家族を車に乗せた男が大声で叫びながら猛スピードで交差点に突っ込んで来るのだが彼女はいっさいひるみを見せなかった。以来、筆者は若者と女性の悪口は言わない。労働力問題は若年層と女性の就業率を上げることで十分対応できる。
(橋本尚幸)
六千数百人の命を奪った阪神大震災から5年。個人的にも忘れることが出来ない事件であった。ちょうどそのとき関西に用事があり、宿泊していた西宮の両親宅で地震に遭遇したのだ。寝ている上にタンスが倒れてきて、更にその上に屋根が落ちてきた。身動きがとれず、土埃と屋根の重みで息も出来ない。右足の膝から下だけは、わずかに動いたので、体を少しずつその方向にずらして行き、最後は無我夢中で一気に脱出した。抜け出たところは崩れた屋根の上で、頭上には一面の星空があった。
それから罹災者生活が始まったが、余震が続く夜中、手帳に書き付けた「死なないためには」と題するメモが残っているので紹介したい。1)タンスの下では寝ないこと。どんなことをしてもタンスは必ず倒れる。2)ボロ家には住まないこと。古い家は例外なく壊れてしまった。3)水を確保すること。食べ物なぞはなくとも三日ぐらいは平気だが、水がないと本当にどうしようもない。井戸があれば一番よい。
この三点を心に決めて、交通手段の復旧と同時に東京に帰ってきた。しかし、以来5年、ひとつも実行できていない。寝ている部屋の壁には相変わらず本棚がある。住んでいるところも古い木造住宅だ。井戸を掘ることにいたってはだれも冗談だと思って相手にしてくれない。なぜ実行に移せないでいるのか。それは経済的な問題である。タンスのない広い部屋にも、頑丈な家を建築するにも、井戸を掘るにも、たいへんなお金がかかる。日本では最も基本的な「死なない」ことが、きわめて高くつくのである。
日本の個人金融資産が1300兆円だとか、GDPは世界二位だとか、日本はえらくお金持ちの国であるかのような錯覚がある。だからODAも大盤振る舞いだ。新年の各紙の社説にも、もう経済成長を追い求めるのはやめよう、生活の質の方が大切だ、という論調が目立った。でも大部分の国民が地震ですぐ壊れるような家に住んでいて、どうしてそんなことがいえるのか。生活の質は物質的な裏付けがあってはじめて得られるものだ。ゼロ成長でもかまわないと言うには、はっきり言ってまだ十年早いのである。少子化が進み、ひ弱な若者が増え、経済成長率の低下は不可避とする議論があるが、それにも同意できない。
阪神大震災の話に戻るが、地震の直後の瓦礫のなかで、子どものような若い婦人警官がひとりで、信号機が停止した街路の交通整理をしているのを見た。怪我した家族を車に乗せた男が大声で叫びながら猛スピードで交差点に突っ込んで来るのだが彼女はいっさいひるみを見せなかった。以来、筆者は若者と女性の悪口は言わない。労働力問題は若年層と女性の就業率を上げることで十分対応できる。
(橋本尚幸)
2002年2月13日水曜日
〔再録〕なぜいま荷風なのか? 高齢化社会と荷風
| |||
|
〔再録〕永井荷風と余丁町
創刊号 2002.2.13 世話人/発行人 余丁町散人
われらの荷風先生がお亡くなりになられてから早くも40年以上が経過しました。亡くなられたのは昭和34年4月29日。東京の東、市川の侘びしい住まいで、一人で血を吐いて死んでいるのを、朝仕事に来た家政婦のお婆さんが発見したのでした。
最後まで偏屈に一人暮らしを続け、胃潰瘍であったにかかわらず病院にも行かず、亡くなるその日にも近所の安食堂で「甘くてべちゃべちゃする」カツ丼を平らげられ、その夜の大往生でありました。先生の逝かれた小さな6畳間には家具らしい家具もなく、散らかり放題で足の踏み場もなく、駆けつけた人たちの目をひそめさせたと言うことです。
なんという壮絶で、格好のよい死に方だったのでしょう。最後までご自分のライフスタイルを守られ、周辺から疎まれながら逝かれたのは、さすが憎まれっ子荷風と賞賛の念を禁じ得ません。
われら老人は、所詮世間の嫌われ者であります。同じことなら先生のように格好良く生きて、壮絶に死ぬことを目指して、みんなでお勉強し、修行したいと思います。よって「荷風塾」というものを作ったものです。
塾長はもちろん荷風大先生。場所はこのホームページについている掲示板。先生を肴にしていろいろおしゃべりをしませんか。そのおしゃべりの材料をこの「荷風塾 学校通信」で提供していきたいと考えます。宜しくご贔屓の程お願いいたします。
高齢化社会と荷風川本三郎が荷風の話をするというので聴きに行ったことがあります。いやすごかった。川本三郎の話もさることながら、聴衆の平均年齢。ほとんどが散人よりももっと爺さんだったのです。荷風ファンは爺さんが多いと改めて実感いたしました。そういえば神田の古書店街では一番高く売られている古本は荷風の本だと聞いたことがあります。荷風が好きなのは高齢者。日本の資産は高齢者層に偏在している。かれらは余り消費はしないので経済評論家と称する人たちからは困りものだといわれているが、好きなものには金に糸目を付けない。だから荷風の本が高くなる、ということのようです。
荷風が若いころから既に自分を老人に見立てる傾向がありました。老人を否定的に見る実利第一主義の時代の中で、荷風はいわば老人の美学を追究したともいえるでしょう。老いてますます不良ぶりを発揮したのもうれしいことです。荷風は我ら老人たちの希望の星と言えるのではないでしょうか。日本の高齢化社会はいま始まろうとしています。よって自ずと荷風ファンも趨勢的に増え続けざるを得ません。まことに喜ばしい限りであります。
いま急速に高齢化が進んでいる中、テレビなんかで高齢者の生きがいはどう見つけるかとのテーマで番組が組まれたりなんかしております。でも散人に言わせれば馬鹿なことであります。もう何十年も前に永井荷風先生が答えを与えてくれているではありませんか。みんなが荷風みたいに不良老人になれば老後の人生もスリリングでまた楽しくなるのです。簡単なことであります。
でも荷風先生のライフスタイルは、昨日今日の付け焼き刃的な修行ではとても真似できるものではありません。何せ年期が入った不良生活です。その意味で、いまの若い世代も今のうちから荷風先生の生き方を勉強し、修行を積み重ねる必要があります。小さいときから始めておかないととても「大荷風」みたいには成れません。だからお若い方もぜひご一緒にわいわいやりましょう。
散人が住んでいる新宿余丁町には荷風が住んでいた断腸亭跡があります。新宿区の史跡に指定されたとかで、ようやく最近になり看板が立てられました。左の写真です。
都営地下鉄新宿線の曙橋駅から台町坂を抜弁天に向けて登り切ったあたりです。ビオセラ・クリニックという診療所の前に「断腸亭跡」との看板が出ていますが、正確にはここは永井荷風が入江子爵に売り払った土地であり、実際の断腸亭はその裏、つまりいま郵政省の宿舎が建っている地所の後ろあたりとなります
つい最近「メゾン・ド・ピュア」という変な名前の女性専用マンションが、まさに本当の断腸亭跡に建てられ、住まれている若い女性の方々の通勤通学で、一時はうらぶれていたこのあたりも、にわかに華やかになってきました。元祖助平爺を自認する荷風の霊は、さぞや喜んでいることと推察いたします。なによりの供養だと思います。
第一回はこのへんにします。続きをお楽しみに。
われらの荷風先生がお亡くなりになられてから早くも40年以上が経過しました。亡くなられたのは昭和34年4月29日。東京の東、市川の侘びしい住まいで、一人で血を吐いて死んでいるのを、朝仕事に来た家政婦のお婆さんが発見したのでした。
最後まで偏屈に一人暮らしを続け、胃潰瘍であったにかかわらず病院にも行かず、亡くなるその日にも近所の安食堂で「甘くてべちゃべちゃする」カツ丼を平らげられ、その夜の大往生でありました。先生の逝かれた小さな6畳間には家具らしい家具もなく、散らかり放題で足の踏み場もなく、駆けつけた人たちの目をひそめさせたと言うことです。
なんという壮絶で、格好のよい死に方だったのでしょう。最後までご自分のライフスタイルを守られ、周辺から疎まれながら逝かれたのは、さすが憎まれっ子荷風と賞賛の念を禁じ得ません。
われら老人は、所詮世間の嫌われ者であります。同じことなら先生のように格好良く生きて、壮絶に死ぬことを目指して、みんなでお勉強し、修行したいと思います。よって「荷風塾」というものを作ったものです。
塾長はもちろん荷風大先生。場所はこのホームページについている掲示板。先生を肴にしていろいろおしゃべりをしませんか。そのおしゃべりの材料をこの「荷風塾 学校通信」で提供していきたいと考えます。宜しくご贔屓の程お願いいたします。
高齢化社会と荷風川本三郎が荷風の話をするというので聴きに行ったことがあります。いやすごかった。川本三郎の話もさることながら、聴衆の平均年齢。ほとんどが散人よりももっと爺さんだったのです。荷風ファンは爺さんが多いと改めて実感いたしました。そういえば神田の古書店街では一番高く売られている古本は荷風の本だと聞いたことがあります。荷風が好きなのは高齢者。日本の資産は高齢者層に偏在している。かれらは余り消費はしないので経済評論家と称する人たちからは困りものだといわれているが、好きなものには金に糸目を付けない。だから荷風の本が高くなる、ということのようです。
荷風が若いころから既に自分を老人に見立てる傾向がありました。老人を否定的に見る実利第一主義の時代の中で、荷風はいわば老人の美学を追究したともいえるでしょう。老いてますます不良ぶりを発揮したのもうれしいことです。荷風は我ら老人たちの希望の星と言えるのではないでしょうか。日本の高齢化社会はいま始まろうとしています。よって自ずと荷風ファンも趨勢的に増え続けざるを得ません。まことに喜ばしい限りであります。
いま急速に高齢化が進んでいる中、テレビなんかで高齢者の生きがいはどう見つけるかとのテーマで番組が組まれたりなんかしております。でも散人に言わせれば馬鹿なことであります。もう何十年も前に永井荷風先生が答えを与えてくれているではありませんか。みんなが荷風みたいに不良老人になれば老後の人生もスリリングでまた楽しくなるのです。簡単なことであります。
でも荷風先生のライフスタイルは、昨日今日の付け焼き刃的な修行ではとても真似できるものではありません。何せ年期が入った不良生活です。その意味で、いまの若い世代も今のうちから荷風先生の生き方を勉強し、修行を積み重ねる必要があります。小さいときから始めておかないととても「大荷風」みたいには成れません。だからお若い方もぜひご一緒にわいわいやりましょう。
散人が住んでいる新宿余丁町には荷風が住んでいた断腸亭跡があります。新宿区の史跡に指定されたとかで、ようやく最近になり看板が立てられました。左の写真です。
都営地下鉄新宿線の曙橋駅から台町坂を抜弁天に向けて登り切ったあたりです。ビオセラ・クリニックという診療所の前に「断腸亭跡」との看板が出ていますが、正確にはここは永井荷風が入江子爵に売り払った土地であり、実際の断腸亭はその裏、つまりいま郵政省の宿舎が建っている地所の後ろあたりとなります
つい最近「メゾン・ド・ピュア」という変な名前の女性専用マンションが、まさに本当の断腸亭跡に建てられ、住まれている若い女性の方々の通勤通学で、一時はうらぶれていたこのあたりも、にわかに華やかになってきました。元祖助平爺を自認する荷風の霊は、さぞや喜んでいることと推察いたします。なによりの供養だと思います。
第一回はこのへんにします。続きをお楽しみに。
2002年2月9日土曜日
余丁町便り (No. 002) 2002.2.9
余丁町便り (No. 002)
..................
余丁町散人
このところ暖かい日が続いて、庭のツツジが季節を間違えたのか、一つだけですが小さな花を咲かせました。昨年秋に水を切らせてほとんど枯れさせてしまったものですが、その後いろんな人のアドバイスにしたがって手入れをしていたところ、何とか狂い咲きをするぐらいにまで元気になりました。写真を写真ページに入れておきましたのでご覧ください。
ところで、やっとデジカメを買いました。いままで何となく買う気になれなかったものですが、ホームページに写真がないとやっぱり淋しいと思って、散人の誕生日(1月31日)を機会に買ったもの。なかなか良いものですね。もっと前に買って居ればよかった。
掲示板を開設
ホームページに来られる方と自由な意見交換が出来るのも良いなと思って、掲示板を作りました。なまえは「余丁町散人の隠居小屋」と言います。したにリンクを表示してありますのでクリックしていただくと来ることが出来ます。掲示板とはボレティン・ボード・システム(BBS)といって、ネット上に作られた複数の人たちが意見交換したりお話をしたりする場所のことです。難しい規則なぞ何もありませんので、気軽にお越しください。匿名で書いていただいても一向に構いません。
今のところ、散人が主に書いておりますが、それでも二三の方には書き込みを始めていただいています。どうぞお気軽にご参加をお願いいたします。自由にスレッドの設定(話題の提起)が可能ですし、話題もまったく自由です。
昨日、出席したセミナー「ダイワのスペシャルトーク」で若林栄四氏のお話がとても印象的で裨益するところ多大と思いましたので掲示板にもポイントを載せておきました。読まれて損はないと思います。
女房どのとピカチュウ
***
女房どのの受勲に関して多くの方からお祝いのメッセージを頂き有り難うございました。女房どのも喜んでおります。あれ以降いろいろの公式行事などが続き、散人が一人でお留守番をするというのが多いのですが、おかげでホームページの製作作業もぼちぼち進んでおります。このアップル社のサイトで、全くの素人でもなんとか web ページが作れてしまう(おまけに美しい雛形が揃っているのできれいなものが出来る)というのは本当にすごいことです。やっぱりアップルは偉いのです。
うちの猫(ピカチュウ)もページに写真を載せたおかげで、多くの方から「でっかい猫だ」とのご感想をお寄せいただき恐縮です。すっかり有名になって本人(?)は得意気であります。
この次は愚息のことも紹介出来るように、次に家に来たときに彼の写真を撮るように致します。
2002年1月30日水曜日
Annie's Honor
〔旧HP閉鎖に伴い要保存コンテンツをここに転載〕
Annie Vercoutter 国家功労勲章シュヴァリエ叙勲式大使の挨拶 (2002.1.23)
..................
1.フランス共和国上院議長、上院議員の皆様、そしてご出席の皆様,この度のクリスチャン・ポンスレ フランス共和国上院議長ご一行の来日は大変光栄なことであり、お越しくださいましたことに対し、ここにおります全員を代表して厚く御礼申し上げます。そして本日、ヴェルクテール=橋本様の日仏関係への高いご貢献に対し、フランス共和国大統領並びにフランス政府から国家功労勲章シュヴァリエ 叙勲式を挙行できますことは、私の大きな喜びと致すところでございます。 お二人に栄誉ある勲章を授けられますことは、日本におけるフランス人社会の活力、質の高さ、多様性、そして日本への密着度を物語るだけでなく、そこに一貫性があることをも示しています。お二人とも、それぞれの分野に置いて、フランス人社会の利益を守るために努力されているという、共通点があるのです。 本日お二人の受賞者のためにお集まりくださいました、ゲストの皆様方にも敬意を表したく存じます。
2.ヴェルクテール=橋本様、在日日仏家族の会 会長であられる貴女は、お父様が高名のエジプト学者でいらっしゃいました。そしてお若い頃からアジアに興味を持ち、中国語と日本語を熱心に勉強され、この道の専門家として広く認められるに至りました。 1965年から73年まで、パリの高等中国学院、そして高等教育実務学院で図書館司書をつとめられました。 研究と教育への関心は深く、1984年から98年まで、諸外国で日本政府が発行している冊子「Cahier du Japon」と緊密な協力関係を構築されました。日仏会館発行の雑誌「Ebisu」の編集委員会のメンバーでもあり、また、在日フランス商工会議所発行の雑誌「France Japan Echo」にも定期的に記事を執筆なさっています。東京のパリ高等経済学院でも5年間にわたり、日本文明についての講義を担当なさいました。 教育にも情熱を注いで居られます。日本滞在中のみならず、中南米のメキシコ、カラカス、ブエノスアイレスにご滞在中も、日仏学院やアリアンス・フランセーズで、教鞭をとられました。日本では、若い外交官がフランス語とフランスのより良い理解のために研修をする機関である外務省外国語研修所、そして一橋大学でも、講師としてフランス語の普及に尽力されました。 さらには、教育者としての経験に根差し、日本の教育制度をフランスに分かりやすく紹介されました。中でも、フランス大学図書出版の「今日の教育」シリーズの一冊として1997年に発行された「日本の学校で」という著作は、今までほぼ未開拓であったこの分野での必読書となりました。 私は着任以来ずっと、貴女の、ご自身の信条を貫き、日仏間の対話に前向きな姿勢を高く評価しています。貴女は常に、在日フランス人に日本をよりよく理解してもらおうと心を配り、特に日仏家族を気遣われています。貴女の長年の活動はこうした考えに根付いているのです。
3.貴女は、在日日仏家族の会 会長として、日仏両国民の効果的な親交を図るべく、出会いの場を作り、交流を促しました。そして、最初はとてもかけ離れているようにみえるけれども実はフランスとの共通点も多くある日本文化を、大人にも子供にも理解させ、日常生活に困らないようにしました。 貴女はまた、日仏家族が抱える問題、たとえば二つの母国語、教育、個人としての権利の問題などについての話し合いの場を定期的に提供しています。こうして、日本における最初の「FLAN-母国語としてのフランス語」計画を打ち出しました。このプロジェクトは、外国におけるフランス語教育庁が特別の関心を払ってその行く末を見守っています。 ヴェルクテール=橋本様、数多くお持ちの才能を存分に発揮され、両国民の相互理解の促進に寄与されました貴女は、その活動のゆえに、そして日本におけるフランスの存在にとって、貴重なお方でいらっしゃいます。 ですからこそ、フランス共和国大統領の名に於いて、そして私どもに与えられた権限により、貴女を国家功労勲章シュヴァリエと致します。
〔翻訳、在日フランス大使館)
Annie Vercoutter 国家功労勲章シュヴァリエ叙勲式大使の挨拶 (2002.1.23)
..................
1.フランス共和国上院議長、上院議員の皆様、そしてご出席の皆様,この度のクリスチャン・ポンスレ フランス共和国上院議長ご一行の来日は大変光栄なことであり、お越しくださいましたことに対し、ここにおります全員を代表して厚く御礼申し上げます。そして本日、ヴェルクテール=橋本様の日仏関係への高いご貢献に対し、フランス共和国大統領並びにフランス政府から国家功労勲章シュヴァリエ 叙勲式を挙行できますことは、私の大きな喜びと致すところでございます。 お二人に栄誉ある勲章を授けられますことは、日本におけるフランス人社会の活力、質の高さ、多様性、そして日本への密着度を物語るだけでなく、そこに一貫性があることをも示しています。お二人とも、それぞれの分野に置いて、フランス人社会の利益を守るために努力されているという、共通点があるのです。 本日お二人の受賞者のためにお集まりくださいました、ゲストの皆様方にも敬意を表したく存じます。
2.ヴェルクテール=橋本様、在日日仏家族の会 会長であられる貴女は、お父様が高名のエジプト学者でいらっしゃいました。そしてお若い頃からアジアに興味を持ち、中国語と日本語を熱心に勉強され、この道の専門家として広く認められるに至りました。 1965年から73年まで、パリの高等中国学院、そして高等教育実務学院で図書館司書をつとめられました。 研究と教育への関心は深く、1984年から98年まで、諸外国で日本政府が発行している冊子「Cahier du Japon」と緊密な協力関係を構築されました。日仏会館発行の雑誌「Ebisu」の編集委員会のメンバーでもあり、また、在日フランス商工会議所発行の雑誌「France Japan Echo」にも定期的に記事を執筆なさっています。東京のパリ高等経済学院でも5年間にわたり、日本文明についての講義を担当なさいました。 教育にも情熱を注いで居られます。日本滞在中のみならず、中南米のメキシコ、カラカス、ブエノスアイレスにご滞在中も、日仏学院やアリアンス・フランセーズで、教鞭をとられました。日本では、若い外交官がフランス語とフランスのより良い理解のために研修をする機関である外務省外国語研修所、そして一橋大学でも、講師としてフランス語の普及に尽力されました。 さらには、教育者としての経験に根差し、日本の教育制度をフランスに分かりやすく紹介されました。中でも、フランス大学図書出版の「今日の教育」シリーズの一冊として1997年に発行された「日本の学校で」という著作は、今までほぼ未開拓であったこの分野での必読書となりました。 私は着任以来ずっと、貴女の、ご自身の信条を貫き、日仏間の対話に前向きな姿勢を高く評価しています。貴女は常に、在日フランス人に日本をよりよく理解してもらおうと心を配り、特に日仏家族を気遣われています。貴女の長年の活動はこうした考えに根付いているのです。
3.貴女は、在日日仏家族の会 会長として、日仏両国民の効果的な親交を図るべく、出会いの場を作り、交流を促しました。そして、最初はとてもかけ離れているようにみえるけれども実はフランスとの共通点も多くある日本文化を、大人にも子供にも理解させ、日常生活に困らないようにしました。 貴女はまた、日仏家族が抱える問題、たとえば二つの母国語、教育、個人としての権利の問題などについての話し合いの場を定期的に提供しています。こうして、日本における最初の「FLAN-母国語としてのフランス語」計画を打ち出しました。このプロジェクトは、外国におけるフランス語教育庁が特別の関心を払ってその行く末を見守っています。 ヴェルクテール=橋本様、数多くお持ちの才能を存分に発揮され、両国民の相互理解の促進に寄与されました貴女は、その活動のゆえに、そして日本におけるフランスの存在にとって、貴重なお方でいらっしゃいます。 ですからこそ、フランス共和国大統領の名に於いて、そして私どもに与えられた権限により、貴女を国家功労勲章シュヴァリエと致します。
〔翻訳、在日フランス大使館)
冬のお便り 2002.1.30
冬のお便り 2002.1.30
..................
余丁町散人
すっかり寒くなって来ました。我が家の庭にはちょうど水仙が咲き始めました。昨年球根を埋め戻したものですが、効果があったようでとてもきれいです。
庭のウメとハナモモが小さな芽を着けています。寒さの盛りですが、春遠からずというところでしょうか。
猫の散歩
うちの猫(ピカチュウ)にハーネスを付けて散歩させています。まだまだ慣れないので、まず庭の中を動き回らせています。だんだん上手になってきました。そのうち外にも連れ出します。
一昨年の10月に公園に捨てられていた子猫ですが、知人(カトリーヌ)が通りかかると足にしがみついてよじ登り始めたそうです。とても生きようとする意志が感じられ、カトリーヌはどうしても置き去りにすることが出来なかったそうです。いろいろあって散人宅で引き取ることになりました。立派な雄猫に成長。体重は5.4キロになりました。
ホームページを作ってみようと勉強を始めました。まず手始めにこのマックのサイトで試してみようと思います。徐々に手を入れていきます。
結構楽しいものですね。
デジタルカメラも買わなくっちゃ。
女房どのの受勲
***
Annie Vercoutter
わが女房どの は今般、フランス政府から国家功労賞(オルドゥル・ナシオナール・ドゥ・メリット)を頂きました。長年にわたる日本研究、著書の『日本の学校にて』、及び日仏家族の会会長としての貢献が評価されたものであり、大変名誉に思っています。散人も「内助の功」が認められたことで、嬉しく思います。
叙勲式におけるフランス大使のスピーチは、女房どのの人生を簡潔に言い表していると思いますので、次のページに載せておきました。
2001年12月1日土曜日
いわゆる「体育会」的なもの
「紺青」2002 Vol. 21 (2001年会報) に寄稿
いわゆる「体育会」的なもの
たまにではあるが、悪いものを食べて寝た晩など、紐の夢を見ることがある。何か差し迫った状況の中、必死でなにかの紐を結ぼうとするのだが、うまく行かない。状況はどんどん悪化して行く。だれかに大声でせきたてられているのだが、どうしても「舫結び」のやり方が思い出せない。「わあ、どうしよう」というところで目が覚める。ヨット部でクルーをしていたときスキッパーから怒られた経験が、いまだにトラウマとして残っているのだ。
ことほどさように、僕はできの悪いクルーであった。もともと体育会ヨット部に入部したのもスポーツが苦手であるくせにスポーツ選手にあこがれていたため。普通の運動部だったら中学高校からの経験者がうなるほどいるだろうが、ヨットなぞやっている高校生は少ないから同じスタートラインで勝負できる。ひょっとしたら自分もいいところまでいけるかも知れないという期待があったから。でも入部早々、その期待が甘かったことをさんざんに思い知らされることとなった。
それでもなんとか四回生までヨット部を続け、最後は全日本にも出ることが出来たのは、かなりラッキーだった。郷にいれば郷に従え、朱に交われば赤くなる。上級生になると入部したときの苦労は何とやら、スナイプの上で怒鳴り散らすスキッパーとなっていた。クルーの丸山清喜君には今でも悪いことをしたと思っている。でも当時はそうでなければ勝てないと思っていた。
卒業して社会人になっても、しばらくはディンギーのクラブ・レースなぞに出たが、問題はクルー。なり手がなかった。家内をうまく言いくるめて一緒に乗って貰うのだが、続かない。あんたはあまりに serious だという。レースとなれば遊びじゃないのだから真剣にやらねばならないと説明しても、日本人はテンションが強すぎてヨットには向いてないと暴言を吐く。家内はフランス人でブルターニュの海で小さいときからディンギーに乗っていた。ご存じのようにあの辺のディンギー乗りは凄い。でも云っている意味がよくわからなかった。
ようやく家内の云っていることがわかったのは、ベネズエラに駐在したとき。ビーチ・クラブでスナイプに乗ることになって、あるとき知り合ったフランス人の若者にちょっとスナイプを貸してやったが、彼の乗り方にまさに驚倒した。家内と二人で出ていったのだが、しばらくすると家内を下に座らせて自分でバランスをとり、完全にティラーを放して、セールのトリムとバランスだけで自由自在にスナイプを操りだしたのである。あれはとてもまねが出来ない。後で家内に聞くと、かれは完全にリラックスしていて、冗談いいながらの楽しいセーリングだった由。あんたとえらい違いだったと笑われた。
日本のセーリングの歴史も結構長くなった。アメリカズカップにも何度も出場できるぐらい資金的にも余裕が出てきている。でもセーリングの技術水準はまだまだ低いと認めざるをえない。特にうまいスキッパーの数が少なく、底辺が育っていないように思う。どうも選手育成の段階における、硬直的な上下関係に基づく練習風土、いわゆる「体育会」的風土がそれを阻んでいるように思う。どのスポーツでもそうだが、歯を食いしばってただただ努力するやりかたでは、ある一定のレベルには到達してもそれ以上は難しい。特にヨットのような個人競技の色彩が強く、遊びのファクターが大きいスポーツでは、自由に楽しみながら技を極めるという姿勢が大切ではないか。
「何を今更、今はもうそういうやり方で練習しているよ」というなら、これほど嬉しいことはない。
橋本尚幸(S43卒、スナイプ)
いわゆる「体育会」的なもの
たまにではあるが、悪いものを食べて寝た晩など、紐の夢を見ることがある。何か差し迫った状況の中、必死でなにかの紐を結ぼうとするのだが、うまく行かない。状況はどんどん悪化して行く。だれかに大声でせきたてられているのだが、どうしても「舫結び」のやり方が思い出せない。「わあ、どうしよう」というところで目が覚める。ヨット部でクルーをしていたときスキッパーから怒られた経験が、いまだにトラウマとして残っているのだ。
ことほどさように、僕はできの悪いクルーであった。もともと体育会ヨット部に入部したのもスポーツが苦手であるくせにスポーツ選手にあこがれていたため。普通の運動部だったら中学高校からの経験者がうなるほどいるだろうが、ヨットなぞやっている高校生は少ないから同じスタートラインで勝負できる。ひょっとしたら自分もいいところまでいけるかも知れないという期待があったから。でも入部早々、その期待が甘かったことをさんざんに思い知らされることとなった。
それでもなんとか四回生までヨット部を続け、最後は全日本にも出ることが出来たのは、かなりラッキーだった。郷にいれば郷に従え、朱に交われば赤くなる。上級生になると入部したときの苦労は何とやら、スナイプの上で怒鳴り散らすスキッパーとなっていた。クルーの丸山清喜君には今でも悪いことをしたと思っている。でも当時はそうでなければ勝てないと思っていた。
卒業して社会人になっても、しばらくはディンギーのクラブ・レースなぞに出たが、問題はクルー。なり手がなかった。家内をうまく言いくるめて一緒に乗って貰うのだが、続かない。あんたはあまりに serious だという。レースとなれば遊びじゃないのだから真剣にやらねばならないと説明しても、日本人はテンションが強すぎてヨットには向いてないと暴言を吐く。家内はフランス人でブルターニュの海で小さいときからディンギーに乗っていた。ご存じのようにあの辺のディンギー乗りは凄い。でも云っている意味がよくわからなかった。
ようやく家内の云っていることがわかったのは、ベネズエラに駐在したとき。ビーチ・クラブでスナイプに乗ることになって、あるとき知り合ったフランス人の若者にちょっとスナイプを貸してやったが、彼の乗り方にまさに驚倒した。家内と二人で出ていったのだが、しばらくすると家内を下に座らせて自分でバランスをとり、完全にティラーを放して、セールのトリムとバランスだけで自由自在にスナイプを操りだしたのである。あれはとてもまねが出来ない。後で家内に聞くと、かれは完全にリラックスしていて、冗談いいながらの楽しいセーリングだった由。あんたとえらい違いだったと笑われた。
日本のセーリングの歴史も結構長くなった。アメリカズカップにも何度も出場できるぐらい資金的にも余裕が出てきている。でもセーリングの技術水準はまだまだ低いと認めざるをえない。特にうまいスキッパーの数が少なく、底辺が育っていないように思う。どうも選手育成の段階における、硬直的な上下関係に基づく練習風土、いわゆる「体育会」的風土がそれを阻んでいるように思う。どのスポーツでもそうだが、歯を食いしばってただただ努力するやりかたでは、ある一定のレベルには到達してもそれ以上は難しい。特にヨットのような個人競技の色彩が強く、遊びのファクターが大きいスポーツでは、自由に楽しみながら技を極めるという姿勢が大切ではないか。
「何を今更、今はもうそういうやり方で練習しているよ」というなら、これほど嬉しいことはない。
橋本尚幸(S43卒、スナイプ)
2001年4月1日日曜日
2001年3月1日木曜日
私の羽根飾(こころいき)
この3月末で、33年間にわたる会社生活を終え、少し早いが引退生活に入ることとなった。5年間書き続けたこのコラムも、これが最後となる。これを機会に、価値観という観点から日本の問題を考えてみたい。
会社生活をはじめた頃は、高度成長期のさなかだった。当時の日本は、まだまだ貧しく、世をあげて経済成長が指向されていた。三分の一世紀が経って、日本の一人あたりGDPはすでに米国の水準に肩を並べ、数字の上では豊かな国となった。しかし国民は豊かさを実感できず、逆に国全体に、伝染病のように重苦しい閉塞感が広がっている。
そもそも物質的な富の増大とは、国民幸福の実現のための手段であったはずだが、その手段がいつの間にか目的と化してしまい、実現される名目上の富を真の豊かさに転化する戦略が、国家レベルにおいても個人レベルにおいても、忘れ去られていたように思える。
この10年進められてきた構造改革にしても、本来は国民の豊かさを実現する手段であったはずだが、構造改革を進めた90年代に国民は1200兆円の資産を失うことになる。日本の年間自殺者数は3万人を越え(1999年)、そのうち30%(9000人)は、経済的理由によるものと云われる。ベトナム戦争の時でさえ、米軍の戦死者は年間平均で5000人程度であった。国民の豊かさを求めて皆がこぞって進めてきた改革が、皮肉にも国民の生命財産に多大の犠牲を強いている。ここにも目的と手段の関係に歪みが見える。
その結果、社会の価値観に揺らぎが生じはじめている。「みんな一緒に、仲良く、一生懸命」という古い共同体の価値観は徐々に力を失い、そうかといって、それに替わる新しい価値観は、まだ社会に定着していない。集団の迷走を押しとどめ、社会にバランスをもたらすのは、結局、意見を持つ個人の存在でしかない以上、一刻も早く健全な個人主義が、日本社会に根付かなければならない。
しかし残念なことに、日本には「個」が育ってこなかった。日本文化に「個」がなかったわけではないが、西欧文明における「個」とは、社会を構成する最小限の核として積極的な意味合いを持つのに対し、日本文化における「個」は、西行、山頭火などのように、社会に背を向けた漂泊の詩人というポーズを取ることが多い。特に人が共同体のありように幻滅を感じたときに、日本人はこの消極的な「個」に逃避する傾向がある。
「個」の在り方を考える上で参考となる例として、ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を引用したい。最後まで権威に迎合することなく、貧窮の中で最期を迎えたシラノは、(自分の地位財産は奪えても、決して自分から奪えないものがある。それは)「私の羽根飾(こころいき)だ」と叫ぶ(辰野隆、鈴木信太郎訳)。羽根飾とは彼の尊厳の象徴だった。個人主義の国フランスでは、シラノが今なお最も好まれる人物像となっている。結局、「個」が生きる社会とは、他から与えられるものではなく、各人が自分の尊厳(ディグニティー)を守る努力をすることで実現するものだと思う。
小生も最後に「私の羽根飾(こころいき)」と云って筆をおくこととする。さようなら。
(橋本尚幸)
会社生活をはじめた頃は、高度成長期のさなかだった。当時の日本は、まだまだ貧しく、世をあげて経済成長が指向されていた。三分の一世紀が経って、日本の一人あたりGDPはすでに米国の水準に肩を並べ、数字の上では豊かな国となった。しかし国民は豊かさを実感できず、逆に国全体に、伝染病のように重苦しい閉塞感が広がっている。
そもそも物質的な富の増大とは、国民幸福の実現のための手段であったはずだが、その手段がいつの間にか目的と化してしまい、実現される名目上の富を真の豊かさに転化する戦略が、国家レベルにおいても個人レベルにおいても、忘れ去られていたように思える。
この10年進められてきた構造改革にしても、本来は国民の豊かさを実現する手段であったはずだが、構造改革を進めた90年代に国民は1200兆円の資産を失うことになる。日本の年間自殺者数は3万人を越え(1999年)、そのうち30%(9000人)は、経済的理由によるものと云われる。ベトナム戦争の時でさえ、米軍の戦死者は年間平均で5000人程度であった。国民の豊かさを求めて皆がこぞって進めてきた改革が、皮肉にも国民の生命財産に多大の犠牲を強いている。ここにも目的と手段の関係に歪みが見える。
その結果、社会の価値観に揺らぎが生じはじめている。「みんな一緒に、仲良く、一生懸命」という古い共同体の価値観は徐々に力を失い、そうかといって、それに替わる新しい価値観は、まだ社会に定着していない。集団の迷走を押しとどめ、社会にバランスをもたらすのは、結局、意見を持つ個人の存在でしかない以上、一刻も早く健全な個人主義が、日本社会に根付かなければならない。
しかし残念なことに、日本には「個」が育ってこなかった。日本文化に「個」がなかったわけではないが、西欧文明における「個」とは、社会を構成する最小限の核として積極的な意味合いを持つのに対し、日本文化における「個」は、西行、山頭火などのように、社会に背を向けた漂泊の詩人というポーズを取ることが多い。特に人が共同体のありように幻滅を感じたときに、日本人はこの消極的な「個」に逃避する傾向がある。
「個」の在り方を考える上で参考となる例として、ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を引用したい。最後まで権威に迎合することなく、貧窮の中で最期を迎えたシラノは、(自分の地位財産は奪えても、決して自分から奪えないものがある。それは)「私の羽根飾(こころいき)だ」と叫ぶ(辰野隆、鈴木信太郎訳)。羽根飾とは彼の尊厳の象徴だった。個人主義の国フランスでは、シラノが今なお最も好まれる人物像となっている。結局、「個」が生きる社会とは、他から与えられるものではなく、各人が自分の尊厳(ディグニティー)を守る努力をすることで実現するものだと思う。
小生も最後に「私の羽根飾(こころいき)」と云って筆をおくこととする。さようなら。
(橋本尚幸)
2001年2月1日木曜日
「徳政令」の亡霊に怯える現代日本
今年のNHK 大河ドラマ「北条時宗」は、なかなか快調な滑り出しだ。秩序を重んじ公儀に生きるという、伝統的な侍のイメージとは大きく異なる、どぎついまでに個性的で荒々しい武士がたくさん登場するのが面白い。舞台の鎌倉時代は、いろいろな意味で日本の源流を形づくった時代だが、我々の祖先はもともとこういう人たちであったのだと思うと、なにやら元気が出てくる。
経済史的にみると、鎌倉幕府とは地方地主の権利を朝廷に認めさせた一種の共和政権といえる。幕府の成立はイギリスのマグナ・カルタの調印よりも古く、世界史的にも誇りうるものだ。
一方で、鎌倉時代にも汚点がある。弘安の役で困窮した御家人集団を救うため実施された、すべての借金を棒引きにするという「徳政令」のことである。債務者にとっては、債務の免除は確かに「徳政」かもしれないが、債権者にとっては資産の召し上げであり「悪政」となる。だから「徳政令」とは、「公的権力による、特定の集団からの富の収奪と、別の集団への富の再分配」と定義したほうがよい。
たいていの場合、徳政令の受益者の声の方が大きいので政治的に人気を得やすい。よって鎌倉時代以降、歴代政府は、いろいろ形を変えながらこれを繰り返して来た。
記憶に新しいものは、太平洋戦争後の新円切り替えだが、政府は預金封鎖とインフレで債権者(預金者)の資産を奪い、債務者(政府)の借金を棒引きにした。戦後の「ばらまき行政」にしても、納税者から特定既得権集団への富の再分配であり一種の徳政令だ。魅力のある鎌倉時代ではあるが、以後につながる「徳政令」の前例を作ったのだけは感心しない。
今、積み上がる巨額の財政赤字を抱え、政治家や官僚がこの伝統の「徳政令」の誘惑に駆られるとしても驚くことではない。平成の世に、徳政令をどういう形で具現化させうるかというと、まずはインフレという形での借金の棒引き。すべての国民の資産の実質価値を低下させることで債務者(政府)の借金を棒引きにできる。また資産課税や相続税の徴税強化もある。政府の債務は700 兆円。それに対し日本の個人金融資産は1300 兆円。人はいつかは死ぬので、気長に待ってこれを相続税で召し上げればよいとの安易な発想。だから財政再建になかなか本腰が入らない。
でも、こうした徳政令は、過去には成功したかも知れないが、平成の世には決して成功しないだろう。内外物価の平準化で当分はデフレが続くので、インフレ誘導はやろうとしても難しい。平均寿命はどんどん延びるので、相続税収も期待できない。一番大きな理由は、昔の日本経済は閉鎖経済であったが、今はグローバル経済の時代だということだ。国民と政府の関係は、伝統的な運命共同体的な関係から、間に距離を置いた利害関係に変化しつつある。国民の政府に対する信頼感がいったん低下するや否やキャピタルフライトが始まる。これは諸外国で経験済みのことである。
資本市場のセンチメントがなかなか好転しないのは、納税者から富を集め既得権集団にそれを再配分するという、昔ながらの政治の「徳政令」的体質に、市場が不安を感じているからだと思う。
(橋本尚幸)
経済史的にみると、鎌倉幕府とは地方地主の権利を朝廷に認めさせた一種の共和政権といえる。幕府の成立はイギリスのマグナ・カルタの調印よりも古く、世界史的にも誇りうるものだ。
一方で、鎌倉時代にも汚点がある。弘安の役で困窮した御家人集団を救うため実施された、すべての借金を棒引きにするという「徳政令」のことである。債務者にとっては、債務の免除は確かに「徳政」かもしれないが、債権者にとっては資産の召し上げであり「悪政」となる。だから「徳政令」とは、「公的権力による、特定の集団からの富の収奪と、別の集団への富の再分配」と定義したほうがよい。
たいていの場合、徳政令の受益者の声の方が大きいので政治的に人気を得やすい。よって鎌倉時代以降、歴代政府は、いろいろ形を変えながらこれを繰り返して来た。
記憶に新しいものは、太平洋戦争後の新円切り替えだが、政府は預金封鎖とインフレで債権者(預金者)の資産を奪い、債務者(政府)の借金を棒引きにした。戦後の「ばらまき行政」にしても、納税者から特定既得権集団への富の再分配であり一種の徳政令だ。魅力のある鎌倉時代ではあるが、以後につながる「徳政令」の前例を作ったのだけは感心しない。
今、積み上がる巨額の財政赤字を抱え、政治家や官僚がこの伝統の「徳政令」の誘惑に駆られるとしても驚くことではない。平成の世に、徳政令をどういう形で具現化させうるかというと、まずはインフレという形での借金の棒引き。すべての国民の資産の実質価値を低下させることで債務者(政府)の借金を棒引きにできる。また資産課税や相続税の徴税強化もある。政府の債務は700 兆円。それに対し日本の個人金融資産は1300 兆円。人はいつかは死ぬので、気長に待ってこれを相続税で召し上げればよいとの安易な発想。だから財政再建になかなか本腰が入らない。
でも、こうした徳政令は、過去には成功したかも知れないが、平成の世には決して成功しないだろう。内外物価の平準化で当分はデフレが続くので、インフレ誘導はやろうとしても難しい。平均寿命はどんどん延びるので、相続税収も期待できない。一番大きな理由は、昔の日本経済は閉鎖経済であったが、今はグローバル経済の時代だということだ。国民と政府の関係は、伝統的な運命共同体的な関係から、間に距離を置いた利害関係に変化しつつある。国民の政府に対する信頼感がいったん低下するや否やキャピタルフライトが始まる。これは諸外国で経験済みのことである。
資本市場のセンチメントがなかなか好転しないのは、納税者から富を集め既得権集団にそれを再配分するという、昔ながらの政治の「徳政令」的体質に、市場が不安を感じているからだと思う。
(橋本尚幸)
2001年1月1日月曜日
インデックス型投資信託と総合商社
2000 年後半の日本の株価下落はきびしかった。なかでもハイテク株の急落はきつく、時代を先取りするつもりでIT 関連の株を多く組み込んだ成長株投信を買っていた人たちは、苦い思いで年末を迎えたのではないだろうか。こんな方にぜひ読んで貰いたい本がある。バートン・マルキールの『ウォール街のランダム・ウォーカー』という本だ。
「株式投資の不滅の真理」との副題がついたこの本はアメリカですでに150 万部近く売れている。結論は全ての戦略的な投資信託は疑ってかかれと云うもの。著者は、何千本と販売されている投資信託(バリュー型、ファンダメンタルズ型、成長型、テクニカル型などなど)の過去のパフォーマンスを徹底的に検証し、ほとんどの戦略的な投資信託は単純に機械的に投資を分散するS &P インデックス連動型投信よりもパフォーマンスが悪いことを立証したのだ。株価の動きは結局誰にも解るものではないので、いわゆる「戦略ファンド」はファンドマネージャーに支払う馬鹿高い報酬分だけ確実にパフォーマンスが悪くなると云う、まことに理屈にあった理論だ。
当然投信の運用で飯を食っているファンドマネージャーには大変評判が悪いが、個人投資家には大人気でミリオンセラーとなっている。
さてこの理論の企業経営へのインプリケーションを考えてみたい。このマルキールの教えを早くから実践している企業が存在するのだ。それこそ世界に冠たる日本の総合商社だ。
扱い品目は二万点を越えると云われ、産業の隅々にまでその活動範囲を広げており総合商社の業容は日本経済の縮図とも云われる。実際に総合商社の粗利益はGDP などのマクロ指標と驚くほどの相関性がある。まさにビジネス版のインデックス投信だ。総合商社はその幅の広さ故に抜群の不況対応力を持ち、数々の「冬の時代」を乗り越え生き残ってきた。このことは総合商社の今後の課題を考える上できわめて示唆的である。二つのことが言えよう。
まず第一に、総合商社にとって「総合性」こそがコアコンピタンスであるということ。「戦略分野」なるものを特定し突っ込むのもよいが、むしろ経済全体の構造変化に的確にフォローし資源配分を継続的に変化させ続ける事が重要となる。総合性を失った総合商社は「ただの会社」だ。
二つ目に言えることは、社内コストの低減が重要課題であるということだ。インデックス型投信が競争力があるのは運用コストが圧倒的に安いからである。前述のように商社の粗利益はマクロ指標で規定される以上、いかにコストを削減し生産性を上げるかで純利益に差が出る。はやりのIT をいかにコスト削減に結びつけうるかが勝負の分かれ目となる。
蛇足ながら、マルキール理論は国民経済についても適用可能だろう。最近、政治家や官僚が今後の成長分野はこれだと変な指導力を発揮しているのをみるとある種の危うさを感じる。コルベール以来、上からの産業政策が成功した例は少ない。何もしない小さな政府は、変なリーダーシップを発揮する大きな政府に勝る。
(橋本尚幸)
「株式投資の不滅の真理」との副題がついたこの本はアメリカですでに150 万部近く売れている。結論は全ての戦略的な投資信託は疑ってかかれと云うもの。著者は、何千本と販売されている投資信託(バリュー型、ファンダメンタルズ型、成長型、テクニカル型などなど)の過去のパフォーマンスを徹底的に検証し、ほとんどの戦略的な投資信託は単純に機械的に投資を分散するS &P インデックス連動型投信よりもパフォーマンスが悪いことを立証したのだ。株価の動きは結局誰にも解るものではないので、いわゆる「戦略ファンド」はファンドマネージャーに支払う馬鹿高い報酬分だけ確実にパフォーマンスが悪くなると云う、まことに理屈にあった理論だ。
当然投信の運用で飯を食っているファンドマネージャーには大変評判が悪いが、個人投資家には大人気でミリオンセラーとなっている。
さてこの理論の企業経営へのインプリケーションを考えてみたい。このマルキールの教えを早くから実践している企業が存在するのだ。それこそ世界に冠たる日本の総合商社だ。
扱い品目は二万点を越えると云われ、産業の隅々にまでその活動範囲を広げており総合商社の業容は日本経済の縮図とも云われる。実際に総合商社の粗利益はGDP などのマクロ指標と驚くほどの相関性がある。まさにビジネス版のインデックス投信だ。総合商社はその幅の広さ故に抜群の不況対応力を持ち、数々の「冬の時代」を乗り越え生き残ってきた。このことは総合商社の今後の課題を考える上できわめて示唆的である。二つのことが言えよう。
まず第一に、総合商社にとって「総合性」こそがコアコンピタンスであるということ。「戦略分野」なるものを特定し突っ込むのもよいが、むしろ経済全体の構造変化に的確にフォローし資源配分を継続的に変化させ続ける事が重要となる。総合性を失った総合商社は「ただの会社」だ。
二つ目に言えることは、社内コストの低減が重要課題であるということだ。インデックス型投信が競争力があるのは運用コストが圧倒的に安いからである。前述のように商社の粗利益はマクロ指標で規定される以上、いかにコストを削減し生産性を上げるかで純利益に差が出る。はやりのIT をいかにコスト削減に結びつけうるかが勝負の分かれ目となる。
蛇足ながら、マルキール理論は国民経済についても適用可能だろう。最近、政治家や官僚が今後の成長分野はこれだと変な指導力を発揮しているのをみるとある種の危うさを感じる。コルベール以来、上からの産業政策が成功した例は少ない。何もしない小さな政府は、変なリーダーシップを発揮する大きな政府に勝る。
(橋本尚幸)
2000年11月30日木曜日
資産の活性化が日本再生の鍵
米国大統領選挙での大接戦はいろんな意味での国の二分化を示すものとして暗示的だが、そのひとつに富の二分化がある。今回の選挙の両党の得票者を所得階層別に分類したデータによると、年収5万ドルを境として収入が高いほど共和党への投票者が増え、逆に収入が低くなるほど民主党への投票者が増えるというきれいな対照性が観察できる。米国では上位1%の富裕層が株式全体の48%を保有しているが、この格差は更に拡大する傾向が見られる。
しかしこの富の格差が近年の米国経済の急拡大の原動力ともなっていたことも事実である。資本が集中することで、投資活動がより専門的でリスク許容度の高いものとなり、それが90年代の勇猛果敢な新規分野への投資と米国経済の大躍進に結びついた。
それに対し日本は、伝統的に平等を重んじる社会である。富の格差はきわめて小さい。上位一割の階層が所有する金融資産は全体の38%に過ぎず、上位1%の階層が株式の48%を保有するアメリカに比べて遙かに平等だ。更にこの格差は縮小する傾向にある。今年の国民生活白書によれば90年代を通じて日本人の資産格差は着実に縮小してきたとのことだ。
背景にはバブルの崩壊がある。90年代で日本国民が失った土地と株式の資産総額は1200兆円という。種々前提をおいて推計すると、日本の上位中産階級(上位一割の世帯、約400万世帯)は一世帯あたり4000万円の損失を被った計算になる。これは格差の縮小につながったが、同時に国民の投資活動を萎縮させ保守化させる結果にもなった。一方で、長期にわたる不況にも拘わらず勤労者所得は実質では目減りしていない。一人あたり実質GDPは90年比で約12%上昇している。失業率も5%以下だ。だから国民の危機感はまだまだ希薄で、構造改革は進まず、経済は停滞したままだ。
日本においては、ほとんどの国民は勤労者であると同時に資産家でもある。90年代を通じて日本国民の「資産家の側面」は大いに痛めつけられ、逆に「勤労者の側面」は過剰に保護されてきた。高齢化、少子化を迎え経済の生産性上昇が喫緊の課題となっている。そのために資本の有効利用と積極的な投資活動が決定的に重要だ。国民の「資産家の側面」を活性化させる政策が21世紀の日本の経済再生の鍵を握る。
(橋本尚幸)
しかしこの富の格差が近年の米国経済の急拡大の原動力ともなっていたことも事実である。資本が集中することで、投資活動がより専門的でリスク許容度の高いものとなり、それが90年代の勇猛果敢な新規分野への投資と米国経済の大躍進に結びついた。
それに対し日本は、伝統的に平等を重んじる社会である。富の格差はきわめて小さい。上位一割の階層が所有する金融資産は全体の38%に過ぎず、上位1%の階層が株式の48%を保有するアメリカに比べて遙かに平等だ。更にこの格差は縮小する傾向にある。今年の国民生活白書によれば90年代を通じて日本人の資産格差は着実に縮小してきたとのことだ。
背景にはバブルの崩壊がある。90年代で日本国民が失った土地と株式の資産総額は1200兆円という。種々前提をおいて推計すると、日本の上位中産階級(上位一割の世帯、約400万世帯)は一世帯あたり4000万円の損失を被った計算になる。これは格差の縮小につながったが、同時に国民の投資活動を萎縮させ保守化させる結果にもなった。一方で、長期にわたる不況にも拘わらず勤労者所得は実質では目減りしていない。一人あたり実質GDPは90年比で約12%上昇している。失業率も5%以下だ。だから国民の危機感はまだまだ希薄で、構造改革は進まず、経済は停滞したままだ。
日本においては、ほとんどの国民は勤労者であると同時に資産家でもある。90年代を通じて日本国民の「資産家の側面」は大いに痛めつけられ、逆に「勤労者の側面」は過剰に保護されてきた。高齢化、少子化を迎え経済の生産性上昇が喫緊の課題となっている。そのために資本の有効利用と積極的な投資活動が決定的に重要だ。国民の「資産家の側面」を活性化させる政策が21世紀の日本の経済再生の鍵を握る。
(橋本尚幸)
2000年10月11日水曜日
21世紀の総合商社
2000/10/11
総合商社とは簡単そうで複雑である。
通産省の貿易業態統計調査によれば日本に貿易業者は11843社あるという(平成5年度調査)。その大部分が中小業者であるが、その中で10社足らずの貿易業者が突出して大きく、総合商社と呼ばれている。
欧米にはない企業形態。欧米では貿易商社はあるが特定品目に特化するのが通常で、日本のように総合的にラーメンからミサイルまで取り扱うことはない。日本は欧米のまねをしながら経済発展をしてきたので欧米にない企業形態を持つ総合商社の存在というものに対して何となく居心地の悪い思いをしてきた。
それが総合商社に対する評価にも現れている。ある時は日本の経済発展の原動力、日本の秘密兵器と持ち上げられ手放しに評価されるときもあった。ある時には逆に商社は不要であるとか、斜陽であるとか、極端には「諸悪の根元」であるとか過小評価された。
時代の節目節目で総合商社への評価が変わった。評価にふれが大きかった。
21世紀を目前に控え、今日本は再び時代の節目にある。今再び総合商社というものに対する期待と不安が錯綜しているように思う。21世紀総合商社はどう生きて行くのか考えを述べたい。
商社の歴史
古い歴史をもつ商業(商社の基本形は普遍的で不滅)
商業とは古い歴史を持つ業種である。古くは縄文時代にすでに黒曜石の全国規模の交易が為されていたようだ。総合商社とは商業交易に従事する産業と考えれば決して特殊なものではない。歴史のある職業である。ちょっとやそっとの事でぐらぐらするようなものではない。
最も総合商社が現在のような総合的国際的な企業組織として大きく発展したのは明治以降である。長い歴史のある商人としての活動から大きな組織として動く「商社」への大きく変身していった。
商社変身の背景(社会のニーズへの対応)
その背景には社会のニーズがあった。近代社会へと脱皮を図る明治の日本社会と産業は彼らに足らないものをどん欲に商社という生まれて間もない国際企業に求めた。商社は賢明に彼らのニーズに応えるべく努力をして提供機能を増やしてきた。社会のニーズに応える形で商社は巨大化してきた。
戦後、日本は大きく変わったが、経済産業の発展の基本パターンは基本的にこの構図であった。
ある時は貴重な外貨を稼ぐために輸出の尖兵として、ある時は日本産業に欠乏していた技術と設備を海外から導入する代理店として、ある時は資源開発者として、非鉄資源原油の開発に邁進し、ある時は流通革命を担い、ある時は企業の海外進出のパートナーとして、そしていまITI革命の先方として日本の総合商社は活躍してきたのである。それらはすべて時代のニーズに応え、またニーズを先取りして提供機能を作り上げたものである。
プロダクツライフサイクル
製品にプロダクツライフサイクルがあるように商社の提供機能にも成長と衰退がある。
商社が時代時代で提供してきた機能も、その一つひとつを取り上げると、時代時代で浮き沈みがある。しかしそれら商社が提供してきたサービスと機能は、提供当時はたいへんなニーズがあったものであるが今やその意義を低めてしまったものが少なくない。
でも商社にはその提供機能が(提供能力が)形を変えて残っている。完全にはやめてしまったものはない。それら無数の「新規開発機能」は役割を終えた今でも総合商社に蓄積され積み重なっている。
それこそが日本の総合商社を世界でも類のないものとしている特徴に他ならない。機能の総合性である。
こういった外延一辺倒の拡張主義が「総花主義」とも批判された事も事実である。しかしこの総合性にこそ日本商社の特徴がある。世界の誰もまねのできない強み戸もなっている。
21世紀に向けて総合商社は?
結論的に行って21世紀は総合商社の時代になると思っている。商社は従来からの基盤をベースとしながら再び新たな機能を社会に提供し、変身し日本産業の新たな発展に寄与していく。さもなければ生き残る資格はない。
21世紀に商社が新たに提供していく機能とは何か?それはITであり、FTであり、LTであるのだ。
それに加えて商社の伝統的機能である「商業」へのニーズが再び高まるものと考える。今日yそうがすす店日本企業の戦略的資源の選択と集中がまだまだ進む。企業が今までインハウスでやっていた作業工程がどんどん外部化される時代になる。取引の発生であり企業間取引は幾何学的に増加する。それを仲介するのが賢い効率的な商社の仕事。21世紀は卸売業が再び脚光をあびる時代になる。機能のない介入は排除されて当然。競争力のある商社が安くて優れた仲介サービスを提供するのだ。無限のフロンティアがある。
なか向きされる仕事は中抜きされて当然。言いたいことは取引の絶対量、トータルのパイが増えることである。
すべての産業分野にコンタクトがある商社の総合性がこの場合の強みとなってくる。
投資会社としての商社の変身もある。商業とは組み合わせである。フォーメイションである。オルガナイザー機能。その中で不足する部品があれバッジ分でそれをつくる。商社の事業会社、投資会社としての性格である。それが隙間を埋めていく。
おわりに
戦後のある機関、大量生産大量流通がもてはやされ、商社の卸売業者としての地位が陳腐化したかのように見えた時期もあった。しかし今や生産車種道の大量生産大量流通の時代は終わった。需要か消費者の意向がもっと前に出てくる時代である。需要家のニーズを仲介する問屋に、古い産業であるが、21世紀再びニーズが増し、問屋が脚光をあびる時代になる。
いい意味での商人に徹して社会に貢献することが大切だろう。
総合商社とは簡単そうで複雑である。
通産省の貿易業態統計調査によれば日本に貿易業者は11843社あるという(平成5年度調査)。その大部分が中小業者であるが、その中で10社足らずの貿易業者が突出して大きく、総合商社と呼ばれている。
欧米にはない企業形態。欧米では貿易商社はあるが特定品目に特化するのが通常で、日本のように総合的にラーメンからミサイルまで取り扱うことはない。日本は欧米のまねをしながら経済発展をしてきたので欧米にない企業形態を持つ総合商社の存在というものに対して何となく居心地の悪い思いをしてきた。
それが総合商社に対する評価にも現れている。ある時は日本の経済発展の原動力、日本の秘密兵器と持ち上げられ手放しに評価されるときもあった。ある時には逆に商社は不要であるとか、斜陽であるとか、極端には「諸悪の根元」であるとか過小評価された。
時代の節目節目で総合商社への評価が変わった。評価にふれが大きかった。
21世紀を目前に控え、今日本は再び時代の節目にある。今再び総合商社というものに対する期待と不安が錯綜しているように思う。21世紀総合商社はどう生きて行くのか考えを述べたい。
商社の歴史
古い歴史をもつ商業(商社の基本形は普遍的で不滅)
商業とは古い歴史を持つ業種である。古くは縄文時代にすでに黒曜石の全国規模の交易が為されていたようだ。総合商社とは商業交易に従事する産業と考えれば決して特殊なものではない。歴史のある職業である。ちょっとやそっとの事でぐらぐらするようなものではない。
最も総合商社が現在のような総合的国際的な企業組織として大きく発展したのは明治以降である。長い歴史のある商人としての活動から大きな組織として動く「商社」への大きく変身していった。
商社変身の背景(社会のニーズへの対応)
その背景には社会のニーズがあった。近代社会へと脱皮を図る明治の日本社会と産業は彼らに足らないものをどん欲に商社という生まれて間もない国際企業に求めた。商社は賢明に彼らのニーズに応えるべく努力をして提供機能を増やしてきた。社会のニーズに応える形で商社は巨大化してきた。
戦後、日本は大きく変わったが、経済産業の発展の基本パターンは基本的にこの構図であった。
ある時は貴重な外貨を稼ぐために輸出の尖兵として、ある時は日本産業に欠乏していた技術と設備を海外から導入する代理店として、ある時は資源開発者として、非鉄資源原油の開発に邁進し、ある時は流通革命を担い、ある時は企業の海外進出のパートナーとして、そしていまITI革命の先方として日本の総合商社は活躍してきたのである。それらはすべて時代のニーズに応え、またニーズを先取りして提供機能を作り上げたものである。
プロダクツライフサイクル
製品にプロダクツライフサイクルがあるように商社の提供機能にも成長と衰退がある。
商社が時代時代で提供してきた機能も、その一つひとつを取り上げると、時代時代で浮き沈みがある。しかしそれら商社が提供してきたサービスと機能は、提供当時はたいへんなニーズがあったものであるが今やその意義を低めてしまったものが少なくない。
でも商社にはその提供機能が(提供能力が)形を変えて残っている。完全にはやめてしまったものはない。それら無数の「新規開発機能」は役割を終えた今でも総合商社に蓄積され積み重なっている。
それこそが日本の総合商社を世界でも類のないものとしている特徴に他ならない。機能の総合性である。
こういった外延一辺倒の拡張主義が「総花主義」とも批判された事も事実である。しかしこの総合性にこそ日本商社の特徴がある。世界の誰もまねのできない強み戸もなっている。
21世紀に向けて総合商社は?
結論的に行って21世紀は総合商社の時代になると思っている。商社は従来からの基盤をベースとしながら再び新たな機能を社会に提供し、変身し日本産業の新たな発展に寄与していく。さもなければ生き残る資格はない。
21世紀に商社が新たに提供していく機能とは何か?それはITであり、FTであり、LTであるのだ。
それに加えて商社の伝統的機能である「商業」へのニーズが再び高まるものと考える。今日yそうがすす店日本企業の戦略的資源の選択と集中がまだまだ進む。企業が今までインハウスでやっていた作業工程がどんどん外部化される時代になる。取引の発生であり企業間取引は幾何学的に増加する。それを仲介するのが賢い効率的な商社の仕事。21世紀は卸売業が再び脚光をあびる時代になる。機能のない介入は排除されて当然。競争力のある商社が安くて優れた仲介サービスを提供するのだ。無限のフロンティアがある。
なか向きされる仕事は中抜きされて当然。言いたいことは取引の絶対量、トータルのパイが増えることである。
すべての産業分野にコンタクトがある商社の総合性がこの場合の強みとなってくる。
投資会社としての商社の変身もある。商業とは組み合わせである。フォーメイションである。オルガナイザー機能。その中で不足する部品があれバッジ分でそれをつくる。商社の事業会社、投資会社としての性格である。それが隙間を埋めていく。
おわりに
戦後のある機関、大量生産大量流通がもてはやされ、商社の卸売業者としての地位が陳腐化したかのように見えた時期もあった。しかし今や生産車種道の大量生産大量流通の時代は終わった。需要か消費者の意向がもっと前に出てくる時代である。需要家のニーズを仲介する問屋に、古い産業であるが、21世紀再びニーズが増し、問屋が脚光をあびる時代になる。
いい意味での商人に徹して社会に貢献することが大切だろう。
2000年10月1日日曜日
企業と倫理と集団と個人
アリを注意深く観察した人によるとせっせと働いているかに見えるアリの群も本当に働いているアリは全体の2 割にしか過ぎず残りの8 割のアリはほとんどさぼっているとのことだ。全員を働かせようとして働くアリだけの群をつくっても結果は同じ事でその中の8 割がまた怠けはじめるらしい。逆に働かないアリばかりを集めると今度はそのうち2 割が働き出すという。「群」の本能なのであろう。
自然の摂理であるならば人間社会にも当てはまるかも知れない。でも人間はアリより頭がよいのでこの2 割という数字を少しでも引き上げて全体の生産性を上げるべくいろいろ工夫がなされてきた。ひとつのやり方は単なる「群」を組織化し規律を高めひとつの目標に向けて邁進する運命共同体化するものだ。
これはどうも最初はユーラシア大陸の軍隊ではじめられたようで、ローマの亀甲歩兵軍団は、その組織力とチームワークでヨーロッパ全土を制覇した。ベンガルのプラッシーでは、整然と隊伍を組んだイギリス東インド会社軍は、人数は数倍だが烏合の衆に過ぎなかったムガール軍を殲滅しイギリスのインド支配を確実にした。日本においても、個人プレーしかできない鎌倉武士団は集団戦法を採る元軍に全く歯が立たず危うく征服されるところであった。
なぜ組織化された軍隊は強かったのか。国際政治学者の亡き高坂正堯によれば、密集隊形をとる軍隊の強さの秘密は兵士達が決して「大義」などという高尚な目的の為ではなく「肘と肘を付き合わせドラムの響きとともに前進する隣の仲間を裏切らないため」だけに超人的な勇気を発揮するからだそうだ。つまり集団主義のドライビングフォースはまさに組織体と仲間への忠誠であり、それは正義とか倫理などの普遍的な価値観より優先されるということなのである。
ここに問題が生じる。この点をいちはやく指摘したのが夏目漱石である。漱石は「私の個人主義」と題した講演(大正3 年、於学習院)のなかで「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いものである」と述べ、人間は集団となるとどうしても徳義心を失いがちであるからこそ個人主義が重要であると説いたのだった。
昨今のたび重なる企業不祥事は社会に企業倫理の問題を提起している。多くの企業でコンプライアンス・システムの制度化が検討されているが、集団の本質に触れた漱石の指摘は傾聴に値するだろう。漱石は続いて、この集団主義と個人主義という二つの主義は矛盾するものではないとも話している。しかし「この点をもっと詳しく述べたいのだが時間がない」とそれ以上は論を進めなかった。その後すぐ漱石は死んでしまったので我々は「もっと詳しく」聴けないままでいる。だから我々は自分たちでこの「解」を見つけるべく努力しなければならない。
(橋本尚幸)
自然の摂理であるならば人間社会にも当てはまるかも知れない。でも人間はアリより頭がよいのでこの2 割という数字を少しでも引き上げて全体の生産性を上げるべくいろいろ工夫がなされてきた。ひとつのやり方は単なる「群」を組織化し規律を高めひとつの目標に向けて邁進する運命共同体化するものだ。
これはどうも最初はユーラシア大陸の軍隊ではじめられたようで、ローマの亀甲歩兵軍団は、その組織力とチームワークでヨーロッパ全土を制覇した。ベンガルのプラッシーでは、整然と隊伍を組んだイギリス東インド会社軍は、人数は数倍だが烏合の衆に過ぎなかったムガール軍を殲滅しイギリスのインド支配を確実にした。日本においても、個人プレーしかできない鎌倉武士団は集団戦法を採る元軍に全く歯が立たず危うく征服されるところであった。
なぜ組織化された軍隊は強かったのか。国際政治学者の亡き高坂正堯によれば、密集隊形をとる軍隊の強さの秘密は兵士達が決して「大義」などという高尚な目的の為ではなく「肘と肘を付き合わせドラムの響きとともに前進する隣の仲間を裏切らないため」だけに超人的な勇気を発揮するからだそうだ。つまり集団主義のドライビングフォースはまさに組織体と仲間への忠誠であり、それは正義とか倫理などの普遍的な価値観より優先されるということなのである。
ここに問題が生じる。この点をいちはやく指摘したのが夏目漱石である。漱石は「私の個人主義」と題した講演(大正3 年、於学習院)のなかで「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いものである」と述べ、人間は集団となるとどうしても徳義心を失いがちであるからこそ個人主義が重要であると説いたのだった。
昨今のたび重なる企業不祥事は社会に企業倫理の問題を提起している。多くの企業でコンプライアンス・システムの制度化が検討されているが、集団の本質に触れた漱石の指摘は傾聴に値するだろう。漱石は続いて、この集団主義と個人主義という二つの主義は矛盾するものではないとも話している。しかし「この点をもっと詳しく述べたいのだが時間がない」とそれ以上は論を進めなかった。その後すぐ漱石は死んでしまったので我々は「もっと詳しく」聴けないままでいる。だから我々は自分たちでこの「解」を見つけるべく努力しなければならない。
(橋本尚幸)
2000年9月1日金曜日
まず身近なところから国際基準にあわせよう
暦では9 月7 日は「白露」といい、この頃から秋気が漸く加わるとされる。9 月に入っても気温が38 度近くまで上がることもあるが、ちょっとした涼風に秋が忍び寄ってきている気配を感じる時もある。夏をようやく過去形で語れるようになってうれしい限りだが、今年の夏は本当に暑かった。気象庁が発表した6 -8 月の気候統計によると、この夏、最高気温が30 度を超える真夏日が56 日もあり、熱帯地方さながらの記録的な猛暑であったという。
わけてもサラリーマンにとってたいへんだったのは朝の通勤だった。朝の太陽はすでに高くぎらぎらと人々を焦がし会社に着く頃には汗でハンカチはぐっしょりと濡れて気力ももうぐったりである。なぜ朝からこんなに太陽が高いのか。理科年表で調べてみると東京地方では午前3 時台にもう夜明けが始まる(6 -7月)。朝、会社に向かうときには夜明けからすでに5 時間程度経過しているのだ。太陽が高く暑いわけである。
先進国のなかで夏時間を導入していないのも日本だけだ。涼しいうちに会社に着けるよう夏時間の導入を真剣に検討してはどうだろうか。日本の諸制度をグローバル基準にあわせることが課題になっているが、こういう身近なところからまず始めて欲しいと思う。
国際標準に合わせる必要がある身近な問題はほかにもたくさんある。日本の都市景観もそうだ。特に空中に張り巡らされている無数の電線と無遠慮に林立する電柱は都市景観を著しく醜いものとしている。日本の社会資本ストック(残高)は一人あたりで先進国中ダントツだが電線の地中化では先進国はおろか発展途上国にも立ち後れたままだ。
日本のオフィス環境についても然りだ。一人あたりのスペースが非常に狭い。最近インドからIT 関連技術者がぼちぼち東京にやって来つつあるが、彼らは日本の狭くて劣悪なオフィス環境に仰天しているという。欧米先進国に範を求め日本の後進性を罵ることが本意ではない。
問題としたいのは、大多数の日本人がこういった問題をそれほど深刻には受け止めていないということである。「夏時間で明るいうちに家に帰れば亭主のこけんに拘わる」とか「電柱が無くなれば犬が小便するときに困る」とか「狭い事務所のほうが社内のコミュニケーションが良くなる」とかいう。しかしこういった小さなローカル性が日本を魅力のない孤立した国にしていることは認識されるべきだろう。
魅力のない国には人は集まらない。人が集まらなければ21 世紀の経済発展もない。日本の諸制度をグローバル基準に合わせることはもちろん大切であるが、こういった身近な生活環境から国際基準にあわせていくことのほうがより意味のあることのように思える。
(橋本尚幸)
わけてもサラリーマンにとってたいへんだったのは朝の通勤だった。朝の太陽はすでに高くぎらぎらと人々を焦がし会社に着く頃には汗でハンカチはぐっしょりと濡れて気力ももうぐったりである。なぜ朝からこんなに太陽が高いのか。理科年表で調べてみると東京地方では午前3 時台にもう夜明けが始まる(6 -7月)。朝、会社に向かうときには夜明けからすでに5 時間程度経過しているのだ。太陽が高く暑いわけである。
先進国のなかで夏時間を導入していないのも日本だけだ。涼しいうちに会社に着けるよう夏時間の導入を真剣に検討してはどうだろうか。日本の諸制度をグローバル基準にあわせることが課題になっているが、こういう身近なところからまず始めて欲しいと思う。
国際標準に合わせる必要がある身近な問題はほかにもたくさんある。日本の都市景観もそうだ。特に空中に張り巡らされている無数の電線と無遠慮に林立する電柱は都市景観を著しく醜いものとしている。日本の社会資本ストック(残高)は一人あたりで先進国中ダントツだが電線の地中化では先進国はおろか発展途上国にも立ち後れたままだ。
日本のオフィス環境についても然りだ。一人あたりのスペースが非常に狭い。最近インドからIT 関連技術者がぼちぼち東京にやって来つつあるが、彼らは日本の狭くて劣悪なオフィス環境に仰天しているという。欧米先進国に範を求め日本の後進性を罵ることが本意ではない。
問題としたいのは、大多数の日本人がこういった問題をそれほど深刻には受け止めていないということである。「夏時間で明るいうちに家に帰れば亭主のこけんに拘わる」とか「電柱が無くなれば犬が小便するときに困る」とか「狭い事務所のほうが社内のコミュニケーションが良くなる」とかいう。しかしこういった小さなローカル性が日本を魅力のない孤立した国にしていることは認識されるべきだろう。
魅力のない国には人は集まらない。人が集まらなければ21 世紀の経済発展もない。日本の諸制度をグローバル基準に合わせることはもちろん大切であるが、こういった身近な生活環境から国際基準にあわせていくことのほうがより意味のあることのように思える。
(橋本尚幸)
2000年8月1日火曜日
グローバルスタンダード経営は日本企業を強くするか
株式会社に関する商法の規定の抜本的な見直しが検討されている。具体的には株主総会や取締役、監査役といった企業統治(コーポレートガバナンス)の在り方の見直しなどが柱だ。法務省では2年後をめどに法改正を目指すという。また経済同友会の企業経営委員会でも昨年来この問題についての検討が続いており年末には提言にまとめられる予定だ。あたかもよし。企業経営の目的は何か、企業経営はどうガバナンスされるべきか。この古くて新しい問題を取り上げてみたい。
最近の経営理論によれば企業は株主の利益のために存在するという。だから株主の立場からの企業経営者へのガバナンスを強化するべきでこれがグローバルスタンダードだとのことだ。確かに明快きわまりない。この数年の米国企業の力強い活躍ぶりと日本企業の低迷ぶりを見せつけられていると、この主張には説得力があり、簡単には反論しがたい雰囲気がある。けれども大多数の日本の経営者、従業員は、理屈はともかく、この理論には何かついてゆけないもの(違和感)を感じているのではないか。この違和感はどこから来るのか。
例えば「企業の目的は株主価値の最大化である。仕入先、従業員などのステークホルダーズへの報酬はあくまでも市場原理にもとづく利害調整にすぎず、これは経営目的とはならない」という。でもそもそも日本社会において企業とステークホルダーズの間に「市場」が存在するのだろうか。原材料とか所要資金とかの財・サービスには市場が存在するとしても労働力については市場はきわめて不完全である。転職は簡単ではない。また日本の労働者、従業員の勤労目的がどこかの国のように100 %経済的報酬の獲得だけにあるとも考えにくい。「意気に感じて働く」というタイプの従業員がまだまだ多いのである。
環境などの外部不経済については市場自体存在しない。日本ではステークホルダーズとの利害調整に市場原理が働かない(もしくはきわめて働きにくい)のである。前提が違う。よってこれらのステークホルダーズとの利害調整については経営者が個別に対処して行かねばならない。経営目的のひとつとならざるをえない。
経営者に対するガバナンスの強化についてもそうだ。グローバルスタンダード論者は独断専行に走る経営者を排除するためにガバナンスの強化が必要という。でも最近の日本経済の低迷を考えると、この状態からの脱出に必要なものはむしろもっと強力な経営者のリーダーシップではないのか。ガバナンス、ガバナンスといって「カバナンスを効かせたがその結果会社がつぶれてしまった」では笑い話にもならないのである。
企業は社会を構成するひとつの組織である。企業の所属する社会の特性に応じて企業の形態も異なってくる。さもなければ競争力を失う。日本社会はゆっくり変化しており、今はざかい期にある。その日本の現状にあわせ選択制の採用など現実性のある企業統治の在り方が議論されるべきだろう。
(橋本尚幸)
最近の経営理論によれば企業は株主の利益のために存在するという。だから株主の立場からの企業経営者へのガバナンスを強化するべきでこれがグローバルスタンダードだとのことだ。確かに明快きわまりない。この数年の米国企業の力強い活躍ぶりと日本企業の低迷ぶりを見せつけられていると、この主張には説得力があり、簡単には反論しがたい雰囲気がある。けれども大多数の日本の経営者、従業員は、理屈はともかく、この理論には何かついてゆけないもの(違和感)を感じているのではないか。この違和感はどこから来るのか。
例えば「企業の目的は株主価値の最大化である。仕入先、従業員などのステークホルダーズへの報酬はあくまでも市場原理にもとづく利害調整にすぎず、これは経営目的とはならない」という。でもそもそも日本社会において企業とステークホルダーズの間に「市場」が存在するのだろうか。原材料とか所要資金とかの財・サービスには市場が存在するとしても労働力については市場はきわめて不完全である。転職は簡単ではない。また日本の労働者、従業員の勤労目的がどこかの国のように100 %経済的報酬の獲得だけにあるとも考えにくい。「意気に感じて働く」というタイプの従業員がまだまだ多いのである。
環境などの外部不経済については市場自体存在しない。日本ではステークホルダーズとの利害調整に市場原理が働かない(もしくはきわめて働きにくい)のである。前提が違う。よってこれらのステークホルダーズとの利害調整については経営者が個別に対処して行かねばならない。経営目的のひとつとならざるをえない。
経営者に対するガバナンスの強化についてもそうだ。グローバルスタンダード論者は独断専行に走る経営者を排除するためにガバナンスの強化が必要という。でも最近の日本経済の低迷を考えると、この状態からの脱出に必要なものはむしろもっと強力な経営者のリーダーシップではないのか。ガバナンス、ガバナンスといって「カバナンスを効かせたがその結果会社がつぶれてしまった」では笑い話にもならないのである。
企業は社会を構成するひとつの組織である。企業の所属する社会の特性に応じて企業の形態も異なってくる。さもなければ競争力を失う。日本社会はゆっくり変化しており、今はざかい期にある。その日本の現状にあわせ選択制の採用など現実性のある企業統治の在り方が議論されるべきだろう。
(橋本尚幸)
2000年7月1日土曜日
一年で激減した日本の対外純資産残高の謎
最近の日本では景気の悪い話ばかりが続くので少々の悪いニュースでは驚かなくなっているが、6 月に発表された99 年末の本邦対外資産負債残高統計には文字通り驚倒してしまった。昨年一年で日本の対外純資産残高が一挙に36 %、額にして49 兆円も減少してしまったというのである。これは一体どういうことか。
対外純資産残高というと日本が外国に対して保有している資産総額から外国に対して日本が負っている負債総額を引いたものであり、いわば日本国民の貯金である。60 年代から日本の経常収支の黒字を毎年こつこつと積み上げて98 年末にはようやく133 兆円にまで育ったものだ。日本が高齢化社会を迎える将来、高年層を養うために大きな助けとなると頼りにしていたもので、まさに虎の子の貯金であった。それが一挙に4 割近くも減った。これほどまでの大幅減は過去になかった。理由を確かめねばならない。
日本銀行によると、対外資産負債残高の基本的な増減要因は、99 年中の財サービスの貿易収支、所得収支と移転収支の合計である経常収支であるが、これは12 兆円のプラスに働いた。しかし円高による外貨建の純資産の評価減が22 兆円発生した。さらに本邦株価の大幅な上昇で日本の負債の時価評価が増加したことでここでも大きな評価損が発生し、合計では経常収支の黒字を大幅に上回る損失となった。その結果、対外純資産は49 兆円もの大幅減少となったということである。
要は、経常取引ではコツコツと黒字を積み上げたのにも拘わらず為替と株で大損をして稼ぎが全部なくなった上に資産を食いつぶしてしまったという話で、まことにお粗末な話だ。
もう少し具体的に中身をみてみたい。切り口を変えて、49 兆円の純資産の減少の内訳を、直接投資、証券投資、貸付残高、借入残高などの項目別にみてみると、純資産減少のほとんどは証券投資、なかでも株式投資の減少(45 兆円)で説明できることがわかる。株式投資をさらに資産・負債に分けてみてみると資産(日本人の外国での保有株式)は5 兆円しか増えていないのに拘わらず負債(外国人の日本での保有株式)は50 兆円も増加していることがわかる。外国人投資家の日本における株式運用実績はTOPIX の上昇をはるかに上回るものであった。また証券投資のなかでの株式比率が外国人投資家では高く、日本人投資家では低かった(逆に債券比率が高かった)ことも大きな運用実績の差につながったようだ。
結論的にいえば、日本国民は日夜残業して働き、財サービスを輸出し資産を築きあげたが、資産を運用する投資家の国際競争力に彼我で大きな差があったために、せっかくの資産もあらかた失ってしまったということである。アリの蓄えをキリギリスが奪ってしまったかたちだ。これを繰り返さないためにも、日本人はもっと投資に強くならねばならないと身にしみて感じた次第である。
(橋本尚幸)
対外純資産残高というと日本が外国に対して保有している資産総額から外国に対して日本が負っている負債総額を引いたものであり、いわば日本国民の貯金である。60 年代から日本の経常収支の黒字を毎年こつこつと積み上げて98 年末にはようやく133 兆円にまで育ったものだ。日本が高齢化社会を迎える将来、高年層を養うために大きな助けとなると頼りにしていたもので、まさに虎の子の貯金であった。それが一挙に4 割近くも減った。これほどまでの大幅減は過去になかった。理由を確かめねばならない。
日本銀行によると、対外資産負債残高の基本的な増減要因は、99 年中の財サービスの貿易収支、所得収支と移転収支の合計である経常収支であるが、これは12 兆円のプラスに働いた。しかし円高による外貨建の純資産の評価減が22 兆円発生した。さらに本邦株価の大幅な上昇で日本の負債の時価評価が増加したことでここでも大きな評価損が発生し、合計では経常収支の黒字を大幅に上回る損失となった。その結果、対外純資産は49 兆円もの大幅減少となったということである。
要は、経常取引ではコツコツと黒字を積み上げたのにも拘わらず為替と株で大損をして稼ぎが全部なくなった上に資産を食いつぶしてしまったという話で、まことにお粗末な話だ。
もう少し具体的に中身をみてみたい。切り口を変えて、49 兆円の純資産の減少の内訳を、直接投資、証券投資、貸付残高、借入残高などの項目別にみてみると、純資産減少のほとんどは証券投資、なかでも株式投資の減少(45 兆円)で説明できることがわかる。株式投資をさらに資産・負債に分けてみてみると資産(日本人の外国での保有株式)は5 兆円しか増えていないのに拘わらず負債(外国人の日本での保有株式)は50 兆円も増加していることがわかる。外国人投資家の日本における株式運用実績はTOPIX の上昇をはるかに上回るものであった。また証券投資のなかでの株式比率が外国人投資家では高く、日本人投資家では低かった(逆に債券比率が高かった)ことも大きな運用実績の差につながったようだ。
結論的にいえば、日本国民は日夜残業して働き、財サービスを輸出し資産を築きあげたが、資産を運用する投資家の国際競争力に彼我で大きな差があったために、せっかくの資産もあらかた失ってしまったということである。アリの蓄えをキリギリスが奪ってしまったかたちだ。これを繰り返さないためにも、日本人はもっと投資に強くならねばならないと身にしみて感じた次第である。
(橋本尚幸)
登録:
投稿 (Atom)
